プロフィール

名前:あおいち
年齢:40歳
本業:営業/マーケティング/事業企画
信念:人は変わることができる

プロフィール
はじめまして、あおいちと申します。
わたしは低学歴コンプレックスを持って社会人になりました。20代で4回転職を繰り返してしまいましたが、「個人営業・法人営業・代理店営業など多種の営業経験」と「ベンチャー企業、外資企業、老舗企業」の経験を積んできたことで、30代に入って年休消化100%、残業0h、年収は上位7%領域のホワイト企業に入ることが出来ました。低学歴はたしかに高学歴に比べたら社会では不利になる場面もあります。でもキャリア戦略次第で高給になることができます。わたしが経験してきたキャリア戦略を本ブログ@低学歴リーマンの転職逆転術で紹介しています。

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過去の経歴

「挫折」と「イジメ」の中学時代

小学校から始めた野球。全国大会に出場するチームでレギュラーとしてやっていた自信をひっさげて、中学校の野球部の門を叩きました。しかし、背の小さかった私は、先輩達のパワーに圧倒され、自分の野球レベルが通じないと挫折して退部。中学3年生にはイジメられる様になり、その経験から周りの目やその場の空気を気にする人間になりました。

「挫折」と「挫折を乗り越えた」高校時代

地元の進学校に奇跡的に入学。高校に入るとイジメられることもなくなり、毎日楽しくやっていました。しかし、高校2年生になるとクラス替えがあり、新しくなったクラスには、知っている生徒が一人もおらず、周りの目を気にしてしまう性格が邪魔をして、新しいクラスに馴染めませんでした。

もともと奇跡的な入学だったので授業にもついていけなくなり、2年生になって1ヶ月ほど経った頃、学校に行けなくなってしまいました。親や親戚、学校の先生が何度も話し合いの場をつくってくれたのですが、将来の話なんかされても、何も考えたくなかったのでイライラする毎日を過ごしました。

学校に行かない間にお金を稼ごうとアルバイトを始め、ガソリンスタンド⇒日雇いバイト⇒新聞配達⇒スーパーマーケットでバイトをしましたが、どれも長く続きませんでした。「学校も続かない、バイトも続かない、自分は何も出来ない人間なんだ」と、どんどんネガティブになっていきます。

学校に行かなくなってしばらく経った頃、同じように学校に行かなくなっていた仲間が突然、「高校を卒業する」と言い出し、「いまの生活を抜け出したい」と心の底では思っていた私は、親に相談して通信高校に通わせてもらえるようになりました。

この通信高校には、あらゆるジャンルの学生がいてとても刺激的でした。当時、テレビで見るようなガングロギャルと友達になれたことは良い想い出です。

大学生であることの喜びを感じた大学時代

通信高校をなんとか卒業して、私は大学にも入れてもらうことが出来ました。世間でいうFランク大学ではありましたが、高校に行かなくなってネガティブモードに入っていた当時の私からすると、大学に通う姿なんて想像できなかったので本当に嬉しい事でした。

大学ではグラフィックデザインを勉強してみたかったのですが、どこで手続きを間違えたのか今も分からないのですが、プログラミングを行うゴリゴリの理数系の学部に入学しました。私はどちらかというと文系だったので、卒業まで辛かった。。。

卒業まで助けてくれた友達は一生の友になっています。

自分を変えたいと思わせてくれた社会人時代

就職活動の時期。特にやりたいこともなく、自分の学歴で行ける会社なんてあるのだろうかと自信も無かったので、就職活動は困りました。何を基準に会社を選べば良いのか分からなかったのです。

悩んでいる内に、大学4年生の夏は終わってしまい、私は冬から就職活動を始めました。当然その頃に求人募集している会社は少なく困りました。大学の友人と就活について話をしていると、「営業だけはやりたくない」とか「営業で毎日ペコペコするのは無理だわ」といった声が結構あったので、そこまで営業に抵抗のなかった私は、営業なら自分でも入れる会社があるかもしれないと思って企業を探しました。

結果として、営業職で採用してくれた会社があり、ホッと一安心。しかし、この会社の先輩達は、営業行ってくると会社を出ては、昼寝したり、パチンコ行ったり、家に帰ってゲームやったり、腐っていました。心の弱い私は、残念ながらその環境に染まっていって、わたしはサボリーマンになっていきました。

この会社では、全体会議のときに営業成績順に座らされます。新卒でサボリーマンの私に営業実績など無く、私は一番後ろが指定席でした。今の時代だったらパワハラだ!と言われそうですが、一番後ろに座った営業は各支店の支店長と営業事務の女性たちに囲まれて、一斉に詰められるという儀式がありました。「こんな成績で良く会社に来れるな」、「偏差値の低い大学を出てるやつは、やっぱり営業成績も悪いんだな」「早く会社辞めろよ。」などと良く言われたものです。

しかしその屈辱的な経験は、「このままではいけない、変わらなくては、変わりたい!」と思わせてくれ、私はこの状況を脱出するために営業の勉強を始めました。そして、自分を変えるために転職もしました。

営業の世界は実績が全てであること知った時代

2社目の転職はい1社目よりキツイ超ブラック企業に入ってしまい、たった1年で辞めてしまうという失敗転職をしました。3社目で入った会社は急成長中のベンチャー企業で、この会社は急成長中だけあって、東大や早稲田などの一流大学や国外・国内の一流企業出身者の方がたくさんいました。

良くこんな会社に自分みたいな者が入れたなと思ったのですが、努力の甲斐あり、私はその会社でトップセールスになることが出来たのです。

その中で、営業成績を上げるほど会社に認められていく経験をし、自分でも実績を出せば認めてもらえる世界があることをこの時に知り、この会社のお陰でもっと頑張って認められたいと上昇志向を持てるようになりました。

営業の面白さを教えてくれた時代

4社目は、海外ベンチャー企業の日本法人立上げの経験をさせてもらいました。3社目の会社でトップセールスとしてやっていた実力を認めてもらい、ヘッドハンティングをもらえたのですが、この経験を通じても、実績を出すことで過去の学歴など関係ないんだと思うことが出来ました。

しかし、これまで日本企業でしか働いた事のない私は、海外企業の厳しさをとことん叩き込まれました。叩き込まれすぎて、当時は気付く余裕もなかったのですが、おそらく心は壊れていたと思います。しかし、ここでの経験が営業の面白さをもっとも気付かせてくれる経験となりました。

「営業は『人間力』と『販売力』を兼ね備えていないと本当の営業マンには慣れない。営業はお客様と直接コミュニケーションを取りながら課題解決できる唯一の存在である。」

そのことを学ぶことが出来ました。その気付きのお陰で、外資企業でもグローバルの営業の中でもトップの成績を残すことができました。

アイディアがお金に変わる面白さを知った現在

ベンチャー企業と海外企業の経験で、「まだ世の中の人があまり知らない製品・サービスを多くの人に知ってもらい、使ってもらうことの面白さ」に気づきました。また、「新しいものを生み出す」経験もさせてもらい、自分のアイディアがお金に変わる面白さと興奮を味わいました。

いまの会社では、これまで転職を繰り返すことで得てきた経験をすべてつかうことができ、新しいビジネスを生み出す仕事をしています。

このブログに込めた思い

低学歴コンプレックスを持っていても、20代で何回も転職をしていても、安定した収入と仕事を持つことができています。

このブログを通じて、わたしと同じ悩みを持っている人にも、精神的な余裕のある生活を手に入れていただくために情報発信をしていきます。

転職は武器です!低学歴であることを恥じる必要もありません!

一緒に頑張っていきましょう!